時代の狭間のクルマ
1980年代半ばから1990年代前半まで日本はバブル景気により経済は活況を呈していました。
各企業においては新発売する商品は売れに売れ、売り上げも収益も過去最高益に達します。
そんな中自動車産業もご多分に漏れず開発費は湯水のように使え、奇抜な開発やそんなの市販するの?なんて、今思えばイケイケな感じの
時代でした。
1980年代初頭はまだ、1970年代を引きずっていて、どちらかというと戦後をひきづった感じのまだ、少し暗い感じが残る時代でした。
中盤から後半にかけてはバブル経済により、自動車産業も本当の意味で、70年代を払拭して、新しい開発が花開いて行ったのでした。
そんな1986年にトヨタスープラは発売されます。2000CCに加え3000CCもラインナップされます。
旧世代と新世代が混在する1980年代に入って開発された6気筒エンジン1G-GTEの2000CCツインターボと1960年代に開発された7M-GTEの3000CCターボを搭載したモデルです。
80年代中盤はわりと昔のものと新しいものの混在期みたいな感じで1960年台に開発されたエンジンもパッケージを変えて新しいもの的に発売されていました。
スープラはバブル景気とリンクしていて、ちょうどバブルが始まったころに発売し、バブルを象徴するモデルのひとつとして今も人気のある車です。
本日はそんなスープラに関してお話ししたいと思います。
トヨタ2000GTを意識したトヨタ3000GTとしてデビューします。
当初はリトラクタブルライトのその見かけと当時ではまだ珍しい200psオーバーのスポーツカーとして1時代を築くのでした。
基本になるプラットフォームはソアラと同様でした。細かい部分は多少違うのですが、エンジンもプラットフォームも同様だったのです。
そんなスープラもソアラ同様に当時最先端のデジタルメータを搭載し近未来を感じさせるクルマだったんです。
インテリアは最先端、エンジンも3000ccは200ps超えと当時の若者には大変魅力的なクルマに思えたものでした。
ソアラはラグジュアリーに振られスープラはスポーツカー系に振られた感じの棲み分けをしていました。
1988年にマイナーチェンジをおこないワイドボディーが登場します。
現在市場に残っているのは90%程度ワイドボディーが多く、初期モデルはほとんど見かけません。
1990年に本当の意味で新開発の2500ccエンジンJZ型エンジンが搭載されたモデルが登場します。
やはり1990年代に入るとようやく70年代を払拭した新開発のエンジンが登場するんです。
国内自主規制枠の280psを発生させるエンジンで、トヨタとしては初めて搭載したクルマとして話題になりました。
このころからエンブレムも新しいトヨタのCIを使った物に代わっていきました。
前の方がカッコよかったのは気のせいでしょうか。。?
80年代半ばまで60年代設計のエンジンを頑張ってチューンナップしてパワーを絞り出していたのが少々物悲しい気はしますが。。
それでも見てくれもカッコよく、ハイパワーエンジンにデジタルメーター騙されちゃいますよね。(新発売が本当の意味ではない)
確かに今見てもスタイリッシュでA80系のスープラよりもカッコいいと思います。
1991年まで発売された名車です。おりしもバブル景気も1991年を境に萎んでいき、それまでのイケイケが嘘のように静まり返っていきました。
バブル経済の反動はその後数十年引きずったまま日本の経済も停滞した感じですが。。
ちょうどそのころから就職氷河期があったり、若者のクルマ離れが進み、悪循環な感じで売れる車は低燃費やハイブリットなど今主流のクルマに代わっていきました。
80年代から90年代にイケイケだったクルマは廃れていきました。
しかし、クルマを楽しむことや、人馬一体的な感覚や言葉はなくなっておらず、やはり、今になってもこの頃憧れだったクルマ達に興味を惹かれ、クルマってこうだったよな。。という感覚を思い出させてくれる。
そういう意味において、1980年代から1990年代のクルマは貴重であり、次世代に残していきたいものだと思います。
しかしながら、古い車を取り巻く環境は決して良いものとは言えず、製造から15年以上過ぎると税金が上がるなどのことから、スクラップにされるものが多くあるのは悲しいことですね。。
本日はバブル時代は70年代が少し残る、でも後半は新しい時代の開発物が花開く感じでした。
時代の狭間のクルマスープラのお話でした。
本日も最後までお読みいただき
ありがとうございました!