1980年代はまだ
1980年代はまだ70年代が色濃くのこる少し暗い時代で、排ガス規制でダメージを受けた自動車業界ではまだダメージを解消するための画期的な方法を模索している時代でもありました。
70年代のクルマは60年代に設計製造されたエンジンを使ってクルマを作り上げていました。そんな70年代の初旬に排ガス規制が行われたため、画期的な解決方法が見いだせないまま80年代を迎えました。
そんな中日産は規制をクリアした4気筒DOHCエンジンを開発します。このエンジンは6気筒ではなく4気筒エンジンでL型エンジンと6気筒のその後継機種RBエンジンをつなぐために作られたつなぎのエンジンです。
FJ20エンジンと言います。当時はまだDOHCエンジンは市販車にはあまりなく、特に日産でDOHCと言えばS20エンジンくらいしかなかった時代です。
高嶺の花のDOHCエンジンを廉価版の市販車に搭載すること自体が画期的なことでしたので、排ガス規制が入った後の開発エンジンとしてはトヨタの2TGよりも優れていたとも言えます。
話は変わりますが、1980年代に日産はいろいろなものを開発して頑張っていましたが、モータースポーツにも積極的に参加していました。
そのころの国産車はスポーツカーというカテゴリーが排ガス規制によりなくなっていたと言っても過言ではないほど、非力なエンジンと重たいボディーでスピードやスポーツ走行とは真逆の方向に行かざるを得ず、正直ろくなスポーツカーはありませんでした。
そんな1983年にWRCグループBに参戦するためだけに作られたクルマがあります。日産240RSと言って、S110シルビアをカスタマイズしたクルマです。FJエンジンをモータースポーツ参戦用にチューンナップしたエンジンです。
FJ24エンジンと言って2400CCのエンジンで240psもの出力を発生させる当時はモンスターエンジンだったんです。しかも車重960kgと1tを切る重さです。
本日は日産RS240についてお話させていただきたいと思います。
1983年当時は国産車市販車のエンジンのほとんどは100ps前後が主流でそれ以上のものが少ない時代でした。FJ20単体のエンジンでも150psと当時の国産車のそれと比べると画期的な出力を発生させられるエンジンだったのです。
単純に2000CCのエンジンを2400CCにボアアップしたというわけではなくそれ専用に開発したエンジンなので、共通部品はほどんどなく別物のエンジンと思っていただいた方が理解しやすいかもしれません。
当時のシルビアS110の2ドアノッチバックに搭載されました。当時のグループBのレギュレーションでは市販車200台あれば参戦できたようです。
市販車は外国向けのものがほとんどらしく150台は左ハンドル残り50台が右ハンドルだったそうです。その50台のうち3台程度がレース用にさらにチューンナップされたようです。
このクルマは海外販売を想定していたこともあり、国内ではレースシーンで走行することしか想定されておらずそのため、排ガス規制をクリアする措置は取られていませんでした。そのためガソリンの供給装置はこの時期にもかかわらずキャブレターだったのです。
キャブレターで2400CCエンジン240PSもの出力があり、インジェクションでもないのに、よくその時代にそれだけの出力を出せるに至ったものだと感心させられます。
市販車にはないレース用のポテンシャルそしてそのままでは公道をはしれないものカッコいいですね。
当然中古市場にもないと思われます。見た目240RSはあるのでしょうか。。?
ありませんでした。
1983年に960kg車重に240psのパワーですから凄いですよね。。それをさらにカスタマイズしたエボリューションがあったそうです。275psだったといので、驚きです。
本日はバブル前日産240RSのお話でした。
本日も最後までお読みいただき
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