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悲運のスカイラインから

1979年から1981年にかけて
悲運のスカイラインジャパンが
フルモデルチェンジしました。



DOHCだけど4気筒

DR30スカイライン



それまでの旧型6気筒エンジンに
別れを告げて装いも新たに
ツインカムにはなりましたが、
何故か4気筒エンジンを搭載しており、

ハイグードが4気筒の
ツインカムエンジンを
搭載していました。

当時まだツインカムの6気筒
エンジンは日産にはなく、

スカイラインなのに何故か
4気筒だったんです。

それでもスカイラインとしては、
ケンメリGTR以来のツインカム
と騒がれていました。

もちろん、グレードによっては
L型エンジンを搭載した廉価版の
モデルも存在していましたが。。

当時はそれでも4気筒のツインカムでも
人気があり、マイナーチェンジした
モデルでは、205psを発揮するなど
当時のスペックとしては、

かなり、ハイスペックだったんです。
200psを出すために、当時のクルマは
まだ、チューンナップをしないと、
そこまでの出力には到達しなかった
んですね。

新しい感を出すために

確かに1981年から悲運のジャパン
からDR30に変わりましたが、
やはり1980年代前半は70年代
を引きずっていた感じがしますね。。

新しい感じはFJエンジンを搭載
もしくはツインカムを搭載したことで、
感じを出していますが、
実はこのエンジンは基本設計は1962年
の設計なんです。

そのエンジンをボアアップして
シリンダーの長さを調整して
ツインカムヘッドを載せたエンジン
なんです。

なので、一応DR30スカイライン用に
開発されたことにはなっていますが、
根本の設計は図分昔の設計のエンジン
で、一から開発された訳では
ないんですね。

そんなこともあって4気筒エンジン
スカイラインGT-Rの称号を
与える話も出たらしいのですが、
開発責任者が6気筒でないため
その称号は与えなかったそうです。

このDR30スカイライン
1985年まで製造されていました。

やはりバブルが始まるちょっと
前の70年代から新しい時代が
始まる前のつなぎのクルマだった
という感じだったんですね。。

この後に開発されたR31スカイライン
も6気筒のRB新型エンジンを搭載して
6気筒の新型エンジンとしました。



6気筒のツインカムエンジンは
1969年に開発されたS20エンジン
以来のエンジンで新開発と言えば
そうなんですが。。

全く流用していないものが、
新型エンジンだとすると
完全に新開発ではありませんでした。

しかし、4気筒のスカイラインから
本来の6気筒エンジン、しかも
ツインカムなら新開発と言っても
問題ないのでしょうね。。

日産は排気量の違いを
同じエンジンを使って表現
する手法だったので、
それを新開発と呼んでいたのかも
しれませんね。。

悲運のジャパンから

つなぎのDR30を経て

新開発のR31ですが。。

本当の意味ではホディーシャーシを
一から見直したR32スカイライン
エンジンは別として新開発のクルマに
なったと言えるのかもしれません。

そういう意味では70年代を払拭した
80年代ですが、後半になって
初めて新時代となったのでしょうね。

やはり日本のクルマの
新時代は1990年以降なのかも
しれませんね。。

バブル景気で花開き、開発も自由に
できた時代のクルマが、
本当の意味で新時代の新開発の
クルマのなでしょう。

本日は悲運のスカイラインから
つなぎのスカイライン
そしてさらに新時代へのつなぎ

そして本当の新開発のクルマ登場

のお話でした。

最後までお読みいただき
ありがとうございました!

とにかく目立つ

その後なかった車種

日本の自動車産業にとって1980年代初頭は1970年代の

オイルショックや排ガス規制によるダメージが色濃く残るまだ70年代を

だいぶ引きずった時代でした。

中盤からバブル景気に乗せられて、開発費用を湯水のように使い、

開発コンセプトもさまざま、とにかく出す高級車が飛ぶように

売れる時代でした。

高級車とは別にメーカーの威信をかけた今までにない

コンセプトの高級車や、そんなクルマいままでに見たことない

なんて突飛なクルマも多く開発されました。

1980年代中盤から少しずつ景気が良くなってきたので、

それに伴い開発も進んでいきましたので、1980年代も後半から

1990年代前半にかけての各社開発したクルマが結構面白いです。

本日は今では絶対に開発しないであろうガルウィングのクルマ

トヨタ『セラ』に焦点をあてて見たいと思います。

このクルマの特徴は縦というか若干斜めに開くガルウィング

呼ばれるドアにあります。ガルウィングと言えば

ベンツやランボルギーニなどの高級外車にはよく見られる

エクステリアです。

スタイリッシュなエクステリアに縦開きのドアはまさに高級外車の

代名詞でもありました。

そんなガルウィングを低価格市販車に搭載したのがトヨタでした。

これって本当にバブルのたまもので、そんな市販車によくもガルウィング

のドアを組み合わせようなんて。。

発想がすでにおかしいというか、バブルで舞い上がっている感じがしますね。。

プラットフォームはスターレットと同様です。

エンジンもEP82スターレットと同系列のE4エンジンをすこし

ロングストロークに改良したE5-FHE型のエンジンを搭載し

110psと可もなく不可もない何の変哲もないエンジンです。

車重も900kg前後とまぁ軽い部類に入ると思います。

足回りもEP-82スターレットと同様のものを採用しています。

そもそもなぜこのクルマは開発されたのでしょうか。。?

走行性能を求めるのではなく、あくまで雰囲気を楽しむという

コンセプトの自動車であった。

とのことで、今となっては一体何のために作られたクルマ

なのかすらよくわかりません。。

やはり時代なんでしょうね。

バブルに踊らされて開発された出せば売れるだろうっていう

変わり種のクルマですね。

そんなセラも発売から約30年経過しています。

市場では一体どのような価格で取引されているのでしょうか。。?

https://www.carsensor.net/usedcar/detail/VU5056775240/index.html?TRCD=200002&RESTID=CS210610

まだ、奇跡のようなクルマが

今なら手に入りますね。

https://www.carsensor.net/usedcar/detail/VU2360198482/index.html?TRCD=200002&RESTID=CS210610

普通にそこそこ距離を走って

いれば、そこそこの価格ですが、

これと言って高いわけではありません。

このクルマが好きで今のうちに程度が良いものを

手に入れたいという方には今がチャンスかもしれませんね。

本日はバブル時代市販車初のガルウィング採用車

『セラ』のお話でした。

本日も最後までお読みいただき

ありがとうございました!

ホモロゲーションモデル初代ランエボのインパクト

1970年代の排ガス規制が国産車に与えた影響は良くも悪くも
絶大で10年以上に渡りその厚い壁に挑み続けなければなりませんでした。
その代わりに得た技術や性能は計り知れないものがあり、

苦難を乗り越えた先にこそあったものに辿り着いた感があります。

特に1990年代に入ってからの国産車のテクノロジー及びエンジン性能は70年代の1.5倍から2倍程度飛躍的に向上しました。

それは、出力だけにとどまらず、足回りや耐久性などありとあらゆるところに進化が現れ、それまでの国産車では考えられない奇跡の連続でした。

1989年に発売された日産スカイラインGTRを皮切りに規制枠280ps一杯
のパワーウォーズに突入し、それは2リッタークラスにまで及ぶという現在では考えられない
程にパワーを追い求めた時代でもありました。

スポーツカー、ラリーカーなどモータースポーツシーンで活躍する車両が数多く
各メーカーが競い合ってよりパワーのあるクルマを世の中に排出していきました。

それはまさに国産車の黄金期といっても過言ではありませんでした。

70年代の排ガス規制後からずっと待ち望みクリアすることに専念してきた
自動車メーカーには本当に脱帽です。

過去それだけパワーに関する技術力が向上したのは類を見ないことだったに違いありません。

そんな国産車の黄金期の最後に三菱から本気のラリーカーが発売されます。

当時WRCの出場資格を得るためだけに開発されたようなクルマですが。。

初代ランサーエボリューションです。本日はランエボについたお話したいと思います。

どのクルマにしても初代はインパクトがあるクルマが多く、特にホモロゲーション
モデルとしてデビューしたランエボはそれまでの国産車には類を見ないパワー
ウェイトレシオでRSグレードでは4.68と1989年に発売された日産スカイラインGTR
が5.0であったことを考えると2リッタークラスとしては超異例のパワー
ウェイトレシオだったのです。

エンジンは4G63で元々はギャランVR-4に搭載されていたエンジンにチューンナップを施して、ギャランより更に軽いランサーに搭載したクルマ、しかも中東向けのボディー剛性が比較的高い車両に押し込んだ、的なクルマがランサーエボリューションでした。

国産車のそれでの出力は2000CCのスポーツカーと呼ばれる種類で200ps程度あればそこそこパワーのあるモデルとして認識されていました。

それを50psも上回る出力は発売当時相当話題になり、このランエボはCMなどは一切ないにもかかわらず、2500台をわずか3日で販売しきるというこれまた異例の事態となったのでした。

そしてその後追加で2500台を生産する事となったのでした。

パワーのあるエンジンを大衆車に乗せるという手法は昔からありましたが、
ちょうど1968年に発売された初代日産スカイラインGTRのインパクト
に匹敵するような驚きがありました。

この車両は無理やり作った感が満載で、ろくにテスト走行もしないで作った
のでしょう、4WDながらアンダーが強く曲がらないクルマとして有名でした
しかしながら、様々なマイナス要素を差し引いたとしても有り余るインパクトと
出力パワーは当時も今も変わりなく、

その後登場するエボリューションよりも初代は一番インパクトがありました。

そして何か消費者に夢を売ってくれたそんな1台でした。

そんな初代ランエボは今一体いくらするのでしょうか?

https://www.carsensor.net/usedcar/detail/CU4059522662/index.html?TRCD=200002&RESTID=CS210610

残念ながらⅡしかありませんね。Ⅰがあったら歴史的価値があるので、
保存の意味でも程度を見極めて買いですね。

エボⅡはⅠの曲がらない不具合や様々な改良点をクリアした車両なのですが、
粗削りなⅠがやはりエボリューションの名にふさわしい車両ではないでしょうか?

本日はバブル時代三菱ラリーカーホモロゲーションモデル
初代ランサーエボリューションのお話でした。

本日も最後までお読みいただき
ありがとうございました!

バブル世代の傑作FF2BOX

1991年の日本はバブル 景気の終わりの方の年でした。1980年代中盤から90年初頭は日本の自動車産業の黄金期と呼ばれ質の良いクルマが数多く排出された時代でもありました。

そんな1991年に本田からシビック EG6が発売されます。

先代のEF型の弱かった足まわりを改良して発売されそれまで悪路やちょっとした段差などにピーキーに反応するところを改良する事で見違える様に乗り易くなった完成形のシビックです。


最上位機種のSIRⅡで、エンジンはB16A1600CCで170psとリッター100ps超えで自然吸気にも関わらずこの出力はさすがホンダと言わざるを得ません。車重も1070kgと軽量なので、170psのパワーでも十分扱い易く街乗りからサーキットまで様々なシーンで満足のいくドライビングを楽しめる一台となっていました。

 

この頃までのシビックが一番シビックらしいパッケージと足まわりやエンジン性能がマッチしていてシビック史上一番成熟したものとなっていると思います。最近のシビックはなんのクルマなのかが分かりにくく、プラットフォームが変わったせいなのか3ナンバーで大きくなりすぎで、シビックではなくなってしまった気がします。

 

そんなシビックの一番輝いていた時代が5代目EG6だった様に思います。当時のテンロククラスの勢力図を書き換えるほどそのパワーと性能のバランスが良く、走り屋からも絶大なる支持を得ていた1台と言えるのでは無いでしょうか。。?

バブル 時代最後のホットハッチ一体今いくらのでしょうか?

高騰する一方の価格です。

まあそんなものでしょうか。。走行距離はそこそこいっていますが、この時代のこの車種がこの程度ならまだお買い得かも知れませんね。

 

こちらは走行距離が奇跡の様な一台です。SIRⅡではなくSIRですが、この走行距離でこの価格は今ならではの価格かも知れませんね。

 

今後値段はさらに上がることが予想されますので、今のうちに程度が良い車両を探して楽しみながら乗るにはもってこいの車種だと思います。バブル時代なので、そこそこ良いエンジンや足まわりを採用しているので、程度が良い車両があればお買い得です。

本日はバブル時代の最高傑作ホットハッチホンダシビックEG6のお話でした。

 

本日も最後までお読みいただき

ありがとうございました!

ロングノーズショートデッキ踏襲

1970年代は自動車産業にとって暗黒の時代でしたが、特にスポーツカーと言われる車種にとっては致命的で、中にはブランドごとなくなってしまった車種もあったほど深刻な状態だったんです。

オイルショックに73年の排ガス規制が追い打ちをかけ、排ガスを少なくするためにキャブレターはエンジンから取り外されていきました。

 

キャブレターの代わりにインジェクションなるガソリン供給装置が登場しますが、当時の精度は低く、ガソリンを一定量供給することすら難しい感じの装置だったのです。

そんな装置を付けたクルマは同じ今までと同じエンジンが見違えるほどショボいものに生まれ変わり、無残な状態になったのは言うまでもありません。

そんな70年代の暗黒時代の終わりごろ、1979年にフェアレディーZ2代目のS130が登場します。

このころの日産はスカイラインをはじめL型エンジンを搭載した車種に後付けでターボを搭載するのが流行っていました。

元気のなくなってエンジンにカンフル剤のようにポンつけで元気のよいエンジンに仕立て上げる。そんなことが行われていました。

それはそれで、実際元気のなくなったエンジンが見違えるように元気になったのですから、付け焼刃としては成功だったのかもしれません。しかしながら、本当の意味で新しく開発されたものではなく、新しく開発されるまでのつなぎとしての代替品にすぎず、本当の意味で新開発が登場するのは80年代後半まで待たねばなりませんでした。

それでもターボ搭載は市場に受け入れられそこそこの販売実績は残せたようです。何せキャブを奪われたエンジンは100psそこそこまで出力ダウンしたのですから、ポンつけターボで145psまで出力をあげることができたので、一応スポーツカーとしては面目躍如といったところだったのではないでしょうか。。?

初代からS130までの14年間で全世界で100万台を売ったクルマとなったのです。

79年から83年の4年間で全世界で約50万台売ったことになります。そう考えると初代よりも販売台数は多かったことになりますね。。

初代は約10年で50万台だったのですから。

確かに、エクステリアはロングノーズショートデッキでライトは初代のGノーズのように長く、ライトカバーなんかが装着されていていかにもスポーツカーらしい外観だったので合点がいきますね。何より、TV番組の西部警察でアクションシーンに登場して、渡哲也が悪人をやっつけてしまうあたりは当時の中高生のハートを鷲掴みしていました。

初代にはない装備としてまだ国内には出回っていなかったTバールーフを採用したことも特筆に値することだと思われます。Tバーは便利で都合の良いときはオープンエアーを楽しめ、雨が降ればチャチャと屋根を取り付けることができるものでした。超便利グッズです。

しかし、この便利グッズは後年所有者を悩ませるグッズともなりました。ウェザーストリップがヘタッてくると雨漏りをし、それが原因の錆が車内に蔓延してしまう。なんてことになったりしました。これを解消するためにTバーを固定したり何かしら修理をしないと雨が永遠に車内に入り込んでしまう。そんなよろしくない屋根の形状でもありました。

そんなS130は短命で79年発売で83年にはZ31へとバトンタッチしてしまいます。まぁエンジン的にもV6エンジンやRBエンジン搭載車が出てくるまでのつなぎ的な車種だったのかも知れませんね。。

そんなS130は今一体いくらくらいするのでしょうか?

https://www.carsensor.net/usedcar/detail/VU2263600706/index.html?TRCD=200002

まぁそんな感じでしょうね。。そんなに高くはありません。つなぎのクルマって感じのなにか中途半端な感じは否めませんが。。安いには安いですね。。この車種に乗るなら、MC後に乗りたい気がしますね。。

https://www.carsensor.net/usedcar/detail/VU1320958896/index.html?TRCD=200002

こんな奇跡のような1台もありました。前期モデルですが、2800CCでワンオーナー
https://www.carsensor.net/usedcar/detail/CU8157872176/index.html?TRCD=200002

探せばあるもんですね。全世界で14年間に100万台売っているからなのでしょうか。。?奇跡のような1台が何台もあったりするなんて。。

こんなきれいなクルマを今のうちに手に入れてガレージで保管しながら、所有する楽しみを味わうのも良いかもしれません。

本日は70年代暗黒時代の名車2代目フェアレディーS130のお話でした。

 

本日も最後までお読みいただき

ありがとうございました!

お金があるときの開発

1990年代は自動車産業の黄金期と言われていますが、まさにその通りで、80年代半ばから各社が湯水のように予算をつぎ込んで開発しだした成果がようやく90年代に入って実を結んだ感じのクルマが登場します。

中にはこれって今の時代では絶対あり得ないなんてものから対して開発って言うほどのものでもないそんなものまで、さまざまなクルマが各社から登場してきます。

本日はスバルアルシオーネSVXにスポットライトを当ててみたいと思います。

1991年9月にアシオーネSVXは発売されました。まさに、バブル崩壊のほんの半年前でした。おそらく80年代半ばのバブルに入った頃に開発に着手し、丁度頑張って発売に至った感じの1991年だったのだと思われます。

このクルマ何が凄いかっていうと近未来的なエクステリアとエンジンこれに尽きます。宇宙船を思わせる今までの日本車では見たことがないようなデザイン。かのジウジアローのデザインです。何か、曲線と直線が融合したそのデザインは一度見たら忘れることができない、そんな雰囲気すら感じさせるクルマではないでしょうか。

1991年当時に国産の水平対向エンジンを製造していたのは富士重工だけでしたが、当時市販車に搭載されていたものは4気筒エンジンだけでした。開発に費用が掛かることからずっとその路線を踏襲してきたのですが、バブル景気も追い風となり、ついに水平対向6気筒エンジンの開発に着手することになったようで、

当時6気筒の水平対向エンジンを製造しているのはドイツのポルシェだけだったのです。
国産車では初の水平対向6気筒エンジンの開発となり、しかも搭載されたのは当時このスバルアルシオーネSVXだけでした。水平対向6気筒エンジンにDOHCヘッドを搭載し240psもの出力を発生させるもので、当時はもちろん今でも十分通用するエンジンを搭載していました。

時代が時代で運が悪いというか、発売後半年でバブルが崩壊し、市場は瞬く間に縮小し、わずか3年で市場から追い出されることとなってしまいました。

そんなスバルアルシオーネSVXはいったいいくらするのでしょうか?

https://www.carsensor.net/usedcar/detail/CU0005259503/index.html?TRCD=200002

奇跡の一台ですね。ほぼ新車です。こんなクルマがあるんですね。

https://www.carsensor.net/usedcar/detail/VU2175014772/index.html?TRCD=200002

約30年前のクルマですが、そこそこのコンディションでそこそこの値段です。この車種を購入して維持しながら乗るなら今だと思います。
マニアックなクルマだけに部品の確保が大変かもしれませんけど。。今後日本ではこんな奇抜なクルマはまず出てくることはないでしょうから。一度は乗っておきたい車ですね。

本日はバブル時代に開発された奇抜なクルマスバルアルシオーネSVXのお話でした。

 

本日も最後までお読みいただき

ありがとうございました!

ギミック満載の

1990年代のバブル時代絶頂期
各自動車メーカーはこぞって開発を続け、

中には時代が早過ぎて見向きもされなかった

クルマが結構あって、時代がマッチした
今になって見直されるクルマも中には

あったりします。

 

なにせ時代はバブルなのでイケイケで

何をしても許される的なノリがあった

のでしょう。。

 

 

日産のパイクカーもそうですし、
ホンダのスーパーカーNSXもそんな

1台だと思います。

 

 

本日はホンダのCR-Xに焦点を当てて
見たいと思います。

CR-XはFFスポーツで走りに徹したイメージが

あると思いますが、実は3代目のCR-Xデルソルは

オープンタイプのクルマでした。


ただのオープントップではなく、
電動のオープントップで今見ても
よくできた仕組みだと感心させられます。

初代、2代目と走りに徹したモデル
であった為にそれまでのユーザーには
受け入れられることはなくかといって

新たなユーザー層を発掘できたわけでもなく。。

何か中途半端な感じのするモデルに
なってしまったのでした。

当時電動オープンと言えば、
ソアラエアロキャビンなど
バブルを代表するハイソカーにしか
搭載されてませんでした。

それが大衆車のライトウェイトカーに
搭載されているなんて、今思えば
なんて贅沢な1台だったんでしょう。

 

近未来すぎて

 

しかし。。
当時はそんな事を思う若者は少なく、

格好悪くなったCR-Xにガッカリした
ものでした。。

時代が早過ぎた1台です。
今発売されたら間違いなくヒット
するクルマだったのではないでしょうか。。?

車重は1tそこそこで、VTEC
170psエンジンを搭載し、
電動でメタルトップが開閉する
しかも当時130万円程度で購入できる
なんてなんて贅沢な1台だったのでしょう。
残念なクルマです。

バブル時代のチャレンジだったのでしょうか?
それまでニーズのあった層には
当然受け入れがたいことは、
マーケティングリサーチしていれば
一目瞭然だったに違いありません。

イケイケの時代なので、『やって見ちゃう』
的なノリで出したのでしょうね。。

丁度バブルが弾けた年
1992年に発売して
1999年まで販売されました。

バブル絶頂期に開発が進んで、
完成して発売したが、バブル崩壊
売れ行きも悪かったのでしょう
約7年でブランドごとなくなって
しまいました。

他の路線で開発する余力もなくった
時期だったのでしょうね。。
CR-Xがなくなってしまったのは
当時非常に残念に思ったものでした。

今いくら?

小型オープンVTEC
最近はどうなんでしょうか。。?

こう言った車種はギミックが
効いていてアメリカなどでは
受けが良さそうです。

他の車種同様25年縛りがなくなって
程度が良い車体が輸出されてそうですね。

国内市場はどうなんでしょうか?

https://www.carsensor.net/usedcar/detail/VU1627027277/index.html?TRCD=200002

程度が良い車体は金額メッチャ上がってます。
3年くらい前に確認した時には
40万円程度で結構程度良い
車体が手に入れられました。

もしかすると改めて見直されて
いるのかも知れませんね。
これだけ小型の車にハイパワー
エンジンで、自動のタルガトップ
ですから。。

当時はカッコ悪いと思っていましたけど、
今見ると乗って見たい一台です。

少し時代が早過ぎた系の
車ですね。
初代、2代目の影に隠れて
埋もれた感は否めませんが。。

本日はバブル時代の
時代が早過ぎたが、熟成された今
見直すべき小型オープントップカー
のお話でした。

本日も最後までお読みいただき
ありがとうございました!

1980年代のライトウェイト

1980年代から1990年代にかけて
日本の自動車産業は絶頂期を迎えて
いたように思えます。

なにせバブル景気も手伝って
開発費は湯水のように使え
たとえ失敗してもバブルのおかげで
そんなに痛手もなくスイスイと次から
次へと開発と販売をすることが可能だった
からです。

そんなある意味本当にいい時代が
バブル時代だったんですね。

バブルを象徴する景気の良さは
企業の給料やボーナスに反映され、
消費にも多大なる影響を及ぼしました。

今では若者離れが進んでいるクルマですが、
当時の若者はこぞってクルマを購入した
ものでした。

クルマ無い=モテない=つまらない
という暗黙の了解みたいな時代だったんです。

とにかくクルマのために働き、

給料をクルマにつぎ込む。

もしくはバイト掛け持ちで
ローン払って車を維持する。

なんて学生も結構いたりしました。
当然社会人になると新車や

学生の頃買えなかった憧れの

クルマを中古で購入する。

なんて感じのクルマを中心にした生活
を送る若者が結構いたんです。

昔のものより

そんな1980年代中盤から

1990年台初頭、まさに日本中が

バブル経済に乗っかっていた頃、

若者に人気のあったライトウェイトの

スポーツカーは1970年代のころの
それらとは違い、

排ガス規制をクリアし、装備の豪華になり、
エンジンもエクステリアも、足回りも
時代が変わったことを印象付けるような
素晴らしいクルマばかりでした。

しかも、いまの半額程度の価格で

販売されていたんですよ。

ライトウェイトなんてカテゴリーは
今の新車にはないんですね。。

あってもトヨタの86程度で、それも
250万円程度の値段なんです。。

どんなクルマ

1980年代中盤~1990年代初頭に
かけて発売されていたクルマは

車種によりますが、
AE86あたりでグレード
により変わりますが、130万円~

ホンダのシビックだって

130万円とか140万円あれば購入できたし、

MR2だって200万円もしない価格で

手に入ったんです。

そんな1980年代はライトウェイトの
クルマが結構あふれていました。

有名どころではトヨタのAE86やMR2

ホンダではシビックCR-Xなんかが
人気でしたね。

クイントインテグラもライトウェイトで
フケの良いエンジンが印象的でした。

人馬一体という意味では
後半に発売されるマツダロードスターなど。

ライトウェイトと言えるかどうか
微妙ですが、RX-7もその頃は
車重もそんなに重くなく。。


日産のシルビアや180も
ライトウェイトでしたね。
このクルマも大ヒットしてそこら
中で見かけることができました。

しばらくS14、S15まではFRの
ライトウェイトっていう
カテゴリーで頑張っていましたね。

ミツビシだとスタリオンや
ランサーターボなども現役で
頑張っていました。

地味に意外と速かったのが
スバルのアルシオーネでした。
乗用車の4WDでトラクションも
良くかかり、パワーもそこそこ
の良いクルマでした。

もっと地味にいすゞからは
アスカというクルマが販売されていて、

ライトウェイトというには少し重めの

クルマですが、
当時の0-400mの記録を
塗り替えた実績のあるクルマです。

1990年代に入るまでは
比較的経済も上り調子でライトウェイト
のクルマも結構販売されていました。

このころのクルマは装備や部品に

お金を掛けることができたので、
今のクルマよりつくりがしっかりして
いるクルマが多いのが特徴です。

その代り衝突安全基準とかエアバックとか
安全基準は今のクルマの方が発達して
いますが。。

純粋に走りを楽しむとか、
クルマ自体を所有して乗り回して
楽しいとか思えるのはこの頃の
クルマなんだと思います。

バブルが弾けて世相が変わり
クルマを持つ層も変わり、
もはやライトウェイトは
絶滅していってしまいましたね。

頑張ってマツダロードスター
や90年代初頭にランサーエボリューション
などが登場して細々と

生きながらえるようなカテゴリーと
なってしまいましたが、

1980年代から1990年代の
初頭までは本当に面白いクルマ
ばかりでした。

今乗っても面白いクルマなんだと
思います。

本日は80年代のライトウェイト
カーのお話でした。

 

最後までお読みいただき

ありがとうございました!

ついに次世代 新型車完成

1960年代に日本のモータリゼーションは幕を開け60年代には国策でマイカー普及のための取り組みが実施され、それまでは富裕層だけのツールだったのが、庶民にも手が届くような価格で実用性があるもので提供できるようになり、自家用車に乗ることができるようになりました。

そして1970年代に入るとモータースポーツからのフィードバックが市販車にもされるようになり、スポーツカーというものが、数多く輩出されていきました。

そんな1970年代でしたが、オイルショックに始まり、73年の排ガス規制が加わり自動車業界が壊滅的なダメージを負い、暗黒の時代へと入っていきました。それは、長く続き実質的には1990年代に入るまで続いたのでした。

排ガス規制が入った各社のエンジンからキャブレターというものが排除され代わりにインジェクションなるものが普及しましたが、既存のエンジンに付け替えただけの付け焼刃的なもので、エンジン性能は極端に落ち、スポーツカーのカテゴリーは各社ほぼ壊滅的で、リッターカーのファミリーカーよりも出力が落ちてしまうありさまだったのです。

そんな1970年代後半からポンつけターボが普及をはじめ一応それまでのエンジン出力に表向きはなったものの、レスポンスを含め到底以前のようなものとはなりませんでした。

1980年代中盤から日本経済はバブルと言われる好景気となり、各社開発費を湯水のように使えるようになったところで、ようやく本当の意味での開発が開始されたのでした。開発から何年たったのか、1990年代の前半にそれまでの旧式のエンジンとプラットフォームに見切りをつけ、本当の意味での新開発のクルマを各社販売し始めました。

本日は4代目トヨタスープラに焦点をあてて見たいと思います。

トヨタの直列6気筒エンジンというと、それまでは1960年代に基本設計されたM型を中心に、80年代に開発された1GーGTEがありましたが、いずれももはや古いエンジンでした。旧式エンジンを新しいボディに搭載するなんだかチグハグな開発もどきみたいなクルマが多く出回っていたんです。

そんな時代にようやく終止符が打たれました。

1993年に発売されたA80型のスープラはそれまでのM型でも、1Gでもない新しいエンジンJZ型エンジンを搭載して、本当の意味での新開発のクルマがやっと投入されたんです。

2JZ型エンジンは3000CCで出力こそ280psと当時の自主規制枠いっぱいの出力で、トルクは46kg-mとノーマルでも十分モンスターで的な出力だったのです。


実はこのエンジンチューンナップ次第では1000psを余裕で超えていくポテンシャルを持ったエンジンで、20年経った今でもチューニングのベースエンジンになっているんです。

1993年は日本ではバブル崩壊という時代の節目というか、時代が変わった後で、それまでのイケイケな感じの開発は終わり、世の中的にも節約、省エネ、など無駄を排除する動きが活発になっていきました。それでもあえて新しい時代の新しいクルマを発売するあたりはやはり、トヨタというしかない感じの儲かっている会社らしい判断だったようです。

当時日本では初となる6速マニュアルを搭載し、大型ブレーキキャリパーを搭載フロント対向4ポットリア対向2ポットを装備するなどエンジンパワーに負けない足回りやブレーキを搭載した新世代のクルマであったんです。

当初は国内では認可が下りなかったため、北米の輸出向けに採用されていたようです。

スープラは新型が最近発売されましたが、販売価格が桁違いで当時の価格より数倍となり、なかなか手が出せないクルマとなってしまいました。そんな意味でも4代目スープラの程度がよいものを購入して所有を楽しみながら、修復もしていくなんて楽しみ方も面白いかもしれませんね。。

そんなA80型スープラは今一体いくらくらいするのでしょうか?

https://www.carsensor.net/usedcar/detail/VU1432999354/index.html?TRCD=200002

まぁまぁですね。この年式のこの価格で修復歴なしです。

ある程度古い車なので、多少のメンテナンスは必要になってくるかもしれませんが。。
https://www.carsensor.net/usedcar/detail/VU1658385411/index.html?TRCD=200002

誰が持っていたのか奇跡のようなクルマがあるものですね。。この年式のこの走行距離がもし本当ならこの価格も決して高いわけでは無いのでしょうが。。

新型と大して変わらない。。?それでも半額以下なので、良いのかもしれません。純粋に国産という意味においてはこのA80型スープラはお買い得かもしれません。

当時も高額だったため走り屋の若者があまり手が出せなかったせいか修復歴なしのクルマが多く見られます。

いかがでしょうか。。?

バブル崩壊後のモンスターマシン。今購入して大切にしながら乗っていくのもひとつの楽しみ方だと思います。

本日はバブル後本当の意味で70年代を払拭しきった純国産新開発トヨタA80スープラのお話でした。

 

本日も最後までお読みいただき

ありがとうございました!

世界初ロータリーエンジン

 

ロータリーエンジンと言えばマツダですが。はじめて搭載されたのはコスモスポーツです。コスモというブランドで1967年~1996年まで発売されていました。

サブネームはその都度変わりましたが、
基本コスモという名前で約30年間販売されていた車で、世界初の量産ロータリーエンジン搭載車なんです。

ロータリーエンジンってすごいんですよ。1960年代の直列エンジンでは1気筒300CC×4気筒1200CCで80馬力程度でしたが、10A型は400ccのエンジンで、55psエンジンが2個搭載されて110psでした。

今のエンジンではそんなに大したことがありませんが、黎明期のエンジンでは30%以上高出力なのに排気量は30%以上小さいのですから。

これマツダが最初に量産型のエンジンに成功しましたが、日本のほかのメーカーや海外のメーカーでもあきらめたエンジンで、現代でいうと青色LEDの開発と同じか、それ以上に凄い発明だったのですよ。

 


マツダは1967年に量産型ロータリーエンジンを成功させた後10Aから12A、13Bへと進化を成功させました。

 

2個搭載から3個搭載へとさまざまな搭載パターンに挑戦しながらいろいろなクルマを生み出しました。

しかしながら、この10Aロータリーのコスモスポーツは燃費でも高い性能を発揮しました。

この10Aはリッター当たり8kmでしたがこの後の12Aは7km、そのあとの13Bは5kmと燃費に関しては排気量に比例するのか10Aが一番優秀なエンジンだったのです。

パワーは別として。。

しかもマツダが本気なるとエクステリアも凄くて感動します。今のそれと通じるところがあるのかもしれませんが、このフォルムはただものではありません。

50年以上前のデザインとは思えません。流石です!

それにしても2基搭載で110ps
1967年は今から50年以上も前の時代で出力です。今でもそんなにそん色ない数字です。

むしろ、その程度の出力が人が扱える適度なパワーなのかもしれませんね。。

もし、3基積んだら。。165psで燃費は置いておいて当時だったらいろいろな歴史を塗り替えることができたのかもしれませんね。。

初代コスモはもはやクラシックの王道的なクルマとなってしまいましたが、歴史的な価値も含め、相当価値が高いと思われます。博物館級の価値なのでしょうね。。

今一体いくらくらいするのでしょうか?

https://www.carsensor.net/usedcar/detail/VU0909737789/index.html?TRCD=200002

一番安くてこの価格です。まぁそうですよね。。

他はすべて応談です。そういう価値です。一度は乗ってみたいですよね。。

本日はマツダ世界初!量産型ロータリーエンジン搭載マツダコスモスポーツのお話でした。

 

本日も最後までお読みいただき

ありがとうございます!

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