国産車はガソリン車が多く存在しますが、その歴史は排ガス規制と深くかかわり、時には痛手を負い、時には切磋琢磨の材料として、日本の自動車産業に大きな影響を与えてきました。
国産車は1960年代に国策としてある程度のパワーと大人4人が乗れるそしてサラリーマンでも購入できるクルマを目指し、各メーカーが頑張って開発を行っていました。
その甲斐があり、1960年代後半になると国産車の大量生産が可能となり、様々な名車が生まれていきました。1970年代に入っても、その勢いは止まることなく徐々に性能をあげていき、海外のクルマに近づく、もしくは匹敵する更には追い越していくクルマも開発されてまさにモータリゼーション真っ盛りな時代となりました。
ところが、中盤に入り排ガス規制が行われたことにより、クルマの性能を追いかける事よりも規制に対応したクルマを作ることに特化するようになりスポーツカーと呼ばれるグレードは対応できずに廃版となる車種も多く、国産車にとっては暗黒の時代となりました。
その後開発は続けられるものの、画期的な打開策や仕組みは見つけることができず時間ばかりが経過していき、1980年代を迎えることとなります。1980年代に入ると少しづつ、ターボなどの補器類が開発され、少しづつエンジンにも元気が戻ってきます。
しかし、根本的に50年代の設計により開発されたエンジンでは規制の根本解決には至らず、新しいエンジンの開発を待たないとなりませんでした。
1981年に日産から、1984年にトヨタから新しく開発された直列4気筒エンジンが登場しようやく規制をクリアに成功し、更に規制前よりも出力を上げることにも成功したエンジンが誕生しました。
前置きが長くなりましたが、本日は1989年に登場した2代目トヨタセリカGTーFOURについてお話したいと思います。
トヨタセリカGT-FOUR2代目は1989年に登場しました。時代はバブル景気真っ盛りで、開発するクルマ市場に出すクルマは売れまくる時代で、何かにつけ付属装備や豪華さがキーワードとなり、高い車ほどよく売れた時代でした。
企業もクルマが売れれば開発予算は多く付きモータースポーツにも積極的に参加できるようになりました。この時代の世界ラリーカー選手権においては日産ではなくトヨタが結構活躍していました。
やはり開発費をかけることができ、性能の良いベース車両開発とそれをチューナップする良い環境があったことが勝因だと思われます。
当時はまだ乗用車に4WDを組み合わせることがまだ少なく、リトラクタブルの外観と相まって大変人気になりました。
エンジンは1980年代に入って開発された直列4気筒3S-GTEエンジンでDOHC16バルブ235psの出力を発生させることができるエンジンで当時としてはそこそこパワーのあるエンジンで、とても頑丈にできていました。
少々重たいのが難点ですが。。チューンナップしていくと900psまで出力を高められるエンジンだったのですなので、モータースポーツ向きのエンジンでもありました。
車重は1tそこそこであったことパワーも235psあったことフルタイム4WDであったことなどチューンナップに向いた車両であったこともあり、ラリーでドライバーズタイトルを取るなどモータースポーツでも活躍した車両でもあります。
元々の販売台数が少ないのか経年により台数が減ったのかわかりませんが。。最近絶滅危惧種などと言われる車両になってしまいました。
そんなセリカは今一体いくらくらいするのでしょうか?
https://www.goo-net.com/usedcar/spread/goo/15/700060008130190920001.html
この走行距離でこの価格って結構強気ですよね。さすが絶滅危惧種だけあって希少車両なのでしょうね。。この車両だけでした。。
本日はバブル真っ只中見かけも性能もバブリーな一台セリカ185STのお話でした。
本日も最後までお読みいただき
ありがとうございました!