オーバー200kmの
クルマの速度が200km超えるって結構すごいことだと思いませんか。。?昔は新幹線の速度が200kmでしたが、それと同じかそれ以上の速度を出せるクルマって実はかなり昔からあったんです。
それは1967年に発売したダットサンフェアレディーSR310が初めてでした。それまでの日本車は比較的非力で、30psや50psなど大人を乗せて走行はするものの、スポーティーな走りや、レースなどとはかけ離れたものでした。
しかし、レースやモータースポーツのフィードバックが国産車の成長に大きく貢献したことで、エンジンや足回りなど性能が一気に上がっていったのです。
200kmオーバーのフェアレディーSRですが、その後200kmオーバーのクルマが登場するのは何と約20年後まで待たないとなりませんでした。
70年代に入っても国産車の大量生産は高度経済成長を背景に留まるところを知らず、高性能の国産車が大量に生産されていき、そのまま大量生産大量消費のサイクルが繰り返されると思われた1973年にそれまでのクルマの概念をひっくり返す
ほど強烈な排ガス規制が実施されました。
それまでの国産車のガソリン供給装置はキャブレターでしたが、電子制御でもなくアナログでした。それを使うことにより、排ガスが多く輩出されてしまうため、インジェクションへと切り替わっていきました。
当時のインジェクションは電子制御という割にはガソリン供給はするものの、排ガス規制をクリアするためにガソリンを少なく供給する方法で、出力はガタ落ちだったんです。エンジンはそのまま、キャブレターは使わず、あまり性能がよくないインジェクションを使うことになりました。
それは、国産車のスポーツカーと言われるジャンルにおいてはかなり壊滅的なダメージがあり、それまで120~150ps程度あったエンジン出力は100psやそれにも満たないものになっていってしまいました。
そのため、メーカーによってはスポーツカーと言われるグレードを一時期なくすなどの対応を取らざるを得ない状況となったのです。
1970年代はそんな時代で、開発は遅々として進まず、結果として自動車産業は冷え切っていったのでした。
オーバー200kmなんて夢のまた夢いつの時代になったら現れることやら。。というような。。国内の開発は景気とリンクするようで、
どうしても開発費予算を回せない時代はあるものを調整してどうにか出力を絞りだす方法しかなく、それでも1980年代に入るとあるものを改良しながら新しいボディーと組み合わせて、開発したっぷりを演出していたのです。
これ、涙ぐましい努力ですね。。
ご存じの方もいらっしゃると思いますが、200kmオーバーのクルマが登場するのは1982年のソアラ2800GTリミテッドまで待たないとならなかったんです。
しかしながら、この車に搭載しているエンジンは6Mと言われるエンジンで、基本設計は1960年代の古いSOHCの6気筒エンジンにターボを組み合わせたアリものをどうにかチューンナップして作り上げたエンジンなのです。
当時ソアラと言えば最先端で、デジタルメーターや電子制御のサスペンションやら、何やらあるもの全部付けたみたいなクルマだったりしたのですが、実はエンジンは1960年代のものをリプロダクトしただけのものだったのです。
その後1980年代半ばになると日本の景気がよくなり、開発予算が多く使えるようになり、各社開発を進めていけるようになります。そして本当の意味で新開発のエンジンや補器類が搭載されたクルマが登場していったのです。厳密にいえば80年代後半なのですが。。
それにしても1967年に初200kmオーバーから約15年もの間、国産車の速度においての開発はなかなか進まなかったのは、排ガス規制によるところが大きく、それに開発予算を絞りだせなかった、日本の景気によるところも大きかったのではないでしょうか。。?
2004年には自主規制の280ps縛りもなくなり、国産車も300psオーバーとなり、200kmオーバーのクルマも珍しいことではなくなりました。
日本の道路事情を考えると、そんなスピード必要なの?という疑問は残りますが。。
高性能で静か、速度も速いクルマで燃費もよく、臭くない現代のクルマは、排ガス規制というものをクリアしたからこそ生み出せた日本の技術の賜物です。
そう考えると60年代から始まった国産車のモータリゼーションは一時期低迷したものの、日本の技術を高め世界に通用するような、むしろある分野では牽引するようなところまで高められたのではないでしょうか。。?
時代は変わり、脱化石燃料へと世界のクルマへの認識が変わる中、ガソリン車はハイブリットへと変わり、
最終的にEV車に行き着くのではないでしょうか。。?
話はそれましたが、国産車のオーバー200kmのクルマはどんな車種?もちろんリミッターカットしてですが。。
1967年 フェアレディーSR
1982年 ソアラ2800GTリミテッド
1989年 スカイラインGTR
1989年 フェアレディーZ Z32
1993年 A80スープラ
など、ネオクラシックの世代ではこんなところでしょうか。。?
現代のGTRやスープラなど、海外のクルマと遜色がないほどの高性能になりましたが、黎明期から黄金期にかけての国産車では200kmも大変な壁だったんです。それにしても1967年自分と同じ歳のクラシックカーがオーバー200kmって凄いことだと思います。
その後紆余曲折あったものの、60年代を脱出して本当の意味での開発も進み国産車の地位は相当向上したのではないでしょうか。。?
やはりクルマって、黎明期から黄金期までが面白いですよね。。
まだ出来上がってなくて、頑張っている感じが。クラシックカーはそんな時代背景も含めて楽しいですね。。
本日は国産車200kmオーバーのクルマのお話でした。
本日も最後までお読みいただき
ありがとうございました!