渾身のプリンス開発力
前後日本の自動車産業は海外と比べると相当遅れていました。そんな中プリンス自動車がレーシングかーの開発に乗り出しました。前身が中島飛行機という事もあり、飛行機のノウハウも加味しながらの開発だったようです。
もともとあったプリンス開発のG7エンジンは、海外のメルセデスベンツの6気筒のものに習って作られれたものでした。そのエンジンを元にほぼ作り直したエンジンGR8型エンジンは200psを発生させる当時としては、画期的なエンジンでした。
このエンジンはやがて、日産スカイラインGT-Rに搭載されるS20エンジンの原型となりました。だいぶ作り変えているので共通する部分はほとんど無いそうです。。
ボディーはアルミで製作されており、一部FRPで作られています。のちにカウル全てFRPで製作されたそうです。
さまざまな改良が施され1967年にはR380-Ⅱが完成し、テストドライブで、当時7つもの世界記録を樹立したんです。このクルマは日本グランプリ優勝など日本のなかでは活躍したんですが、海外では今ひとつパッとしませんでした。
そのうち日産が国内レースの不参加を表明し、表舞台から姿を消してしまいます。1966年とか、1697年当時でこの外見と最終的に255psのパワーってすごくないですか。。?
何か日本がまだ凄く元気でこれから、頑張っていこう!的な気が伝わってきます。プリンス陣営は少数精鋭で、エンジニアの質が非常に高かったことが伺えますね。
スカイラインもグロリアもプリンスが開発したものだし、このプロトタイプレーシングを開発しようと考えたのもプリンス自工でした。
日産は戦前日産コンツェルンの一員であったそうです。日産は『日本産業』グループの持ち株会社に由来しているそうです。プリンス自工は資金繰りが困難になり合併したとありますが、ブリジストンの石橋氏もいたこともあり、実際には国策により、吸収されたとの見方が、正解のようです。
かたや巨大なコンツェルンかたや中島飛行機の少数精鋭のエンジニアの集団ものつくりができるのはどちらかは、歴然ですね。資金に物を言わせて技術の日産なんて言っていましたが、中身は技術のプリンスだったんでしょうね。
プリンス自工のものつくりの姿勢がとても好きです。今ではパッとしない日産のまだ元気なこらに開発されたレーシングカーのお話でした。
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