1960年代から始まった日本のモータリゼーションは高度経済成長期と重り車の開発は次から次へと行われ、モータースポーツのフィードバックも行われることにより、性能も大幅に進化して行きました。
60年代の乗れる車からスポーツマインドを持った車へとより高出力のクルマが多く販売されて行きました。
しかし。。
残念なことにこの頃中東戦争やオイルショックなど車を取り巻く環境が少し変化して行きました。
そしてトドメは1973年に施行された排ガス規制でした。この排ガス規制によりそれまでレースシーンで培ったエンジン出力向上に関する補記類や仕組みが根こそぎ使えた無くなっていったのです。
それまでの仕組みを一から作り直して、排ガス規制に対応しないとならないほどの大掛かりな規制だったのです。
本日は排ガス規制に翻弄され、毎年車の型番が変わっていったトヨタスプリンタートレノTE47についてお話ししたいと思います。
排ガス規制後の1974年に2代目スプリンタートレノは販売されました。この代はボディー形状がカローラとスプリンターで異なる珍しいパターンでした。
初代よりもホイールベースが35ミリ延長され、60kgも車重が重くなったことから、先代のようなスポーツ性能は発揮できず、排ガス規制の影響からエンジンもハイオク仕様から普通ガソリン仕様になったためエンジン出力も落ち75年の排ガス規制に対応できなくなったためグレードごと消滅することになりました。
この時代の車は排ガス規制に対応できず、ブランドごと一時期消滅した車種が少なくありません。カローラレビンも同じエンジンを搭載していたので、一時消滅しました。
2年間のブランクを経てようやく76年排ガス規制に対応した電子制御インジェクション仕様の2T-GEUエンジンを搭載したTE61として発売してされました。
この頃のエンジンは100psを出すのも大変でした。にも関わらず78年にも排ガス規制が入り、それに対応したエンジンを搭載したTE65が1978年に発売されました。
排ガス規制に振り回されブランド消滅もあり、74年から79年まで2年のブランクを入れて販売され続けたのも企業の苦労がうかがえます。
もはやスポーツカーとしては全く機能せず、名前だけのGTと化してしまった国産車はこのトレノだけにとどまらずこの時期作られていた車のほとんどは名ばかりのGTでした。
高度経済成長に乗っかって性能も成長を遂げたまでは良かったのですが。。その後ひどい仕打ちにあったこの頃のクルマは少々気の毒な気がします。同世代のクルマなのに3つもの型番を持つ車種はこの時期のトヨタ車だけなのでしょうね。。
販売台数も少なく、性能もあまり良くなかった時代の車なので、生存台数も少なく希少だと思われます。
https://www.carsensor.net/usedcar/detail/VU1551580525/index.html?TRCD=200002
ありました!77年式なのでTE61です。一番遅くてダメな奴ですが、超希少モデルですね。もはや高価になりすぎた86購入するよりもこの年代の少し遅い車を購入したら面白いかも知れませんね。
まだ手が出せそうです。
本日は排ガス規制に振り回されたトヨタスプリンタートレノTE47、61、65のお話でした。
本日も最後までお読みいただき
ありがとうございます!