1980年は昭和55年
日本の自動車業界の話をするとき1970年代のオイルショックや排ガス規制は日本にとっては非常に辛い宣告でした。
それまで順調に花開いたモータリゼーションはことごとく滞り、出す車は牙の抜けた腑抜けたクルマばかりでした。
そんな1970年代が終わり1980年
になると各メーカー少しずつではありますが、新しい取り組みや新しいものを世に出すようになってきました。
それはまだ70年代を引きずるものが多く、まやかし程度のものがほとんどでした。
そんな中マツダはファミリアを一新して
発売させました。それまでのエンジンレイアウトはFRでしたが、それをスッパリ捨て、FFレイアウトに変更し、プラットフォームも新しく開発したものに一新しました。
直線的なデザイン、ボクシーなイメージで登場しました。先代のファミリアまでは割と曲線をイメージしたものが多かったのですが、角ばったデザイン、FFで
広い室内、当時物珍しかったサンルーフ
を装備して登場しました。
70年代は割と硬派なクルマがもてはや
されていましたが、80年代に入ると割と軟派なクルマに人気が集まり、いわゆるデートカーと言われるようになった最初のクルマではないでしょうか。。
80年第初頭は若者にサーフィンが大ブームでなぜかサーフィンしない人もキャリアをつけてサーフボードを括りつけていました。
いわゆる陸サーファーってやつです。時代の変化なのでしょうけれど、髪型もサーファーカットなる髪型がはやり、そしてボードを天井に日焼けした感じで初代ファミリアでナンパする若者が結構多くいたようです。
クルマ自体はスペック的には1500CC85psと可もなく不可もない感じの平均的なスペックでしたが、今までにないFF2BOXに直線的なデザインがバカ受けして大ヒットした車です。
それまでのマツダはなかなかヒットする車がなく、この5代目ファミリアがマツダの倒産危機を救ったともいわれています。
なにせ2年間で100万台も売上げたの
ですから。デザインもよくそこそこ車重もかるく800kg程度で室内広く、85psすべてが平均点以上のクルマだったんです。
日本カーオブザイヤー第一回目受賞のほか、アメリカやオーストラリアでもカーオブザイヤー的な賞を受賞していたりしています。
単に外見や乗り心地だけでなく、モータースポーツでもそこそこの活躍をしており、モンテカルロラリーでは優勝をしたこともある車なのです。
1983年にマイナーチェンジが施され
それまでのキャブレターからインジェクションへ変わり、ターボ搭載車も投入されました。
そうして1985年まで生産された大ヒットファミリアは今一体いくらくらいするのでしょうか。。?
https://www.goo-net.com/usedcar/spread/goo/17/700100242730170906002.html
一番売れた3ドアXGですらもうないのでしょうね。。相当スクラップにされたことなのでしょう。
すでに40近く前のクルマなので希少車です。もはやクラシックの部類に入るにもかかわらずさすが大衆車だけあり、まだ全然安いですね。
フルノーマルを探して乗ってもいいですし、ターボ車があればそれを探してみても面白いかもしれません。当然外装系のパーツには困るのでしょうけれど。。
本日はマツダの救世主5代目BD型ファミリアのお話でした。
本日も最後までお読みいただき
ありがとうございました!