1990年の国産車と1970年の国産車
戦後25年と45年の違い技術力の違い→規制をかいくぐるための技術
1960年代後半から1970年代前半は日本にモータリゼーションが起こりそれまで富裕層だけのものだった乗用車が庶民に普及し始めた頃でした。
安くなったとは言え会社員の平均月給が1万円程度のところに50万円とか今の価格にしては安価ですが、物価と比較するとまだまだ自動車は高嶺の花でした。
その後日本は高度経済成長期に入り大量生産が可能になり、国全体が裕福になり、会社員の給料も倍々で上がっていきました。少しずつ庶民に普及し始めた頃オイルショックや排ガス規制が入り、それまでの勢いに大きくブレーキが掛かりました。
それまで経済成長に合わせ、クルマの性能は進化してきましたが、この規制を境に一気にシュリンクしていきました。ガソリンをなるべく使わずに、排ガスを少なく、でも性能を上げないといけないという真逆の相矛盾した課題はメーカーにとってかなり重労働であったに違いありません。
事実74年以降の国産車は長い間覇気がなく、どうにか体裁を保つだけの物でした。何か新しいものが開発できたわけでもなく、60年代に設計されたエンジンや補器類の組み合わせを変えるだけの何か付け焼刃的なクルマが散見されたものでした。
1979年に日産からスカイラインターボが登場し、これを境にターボが根付いていきました。
この時期のターボはまさに救世主で、覇気のなくなったエンジンにポンとつけるだけで超元気になり、開発の遅れていた国産エンジンにとって好都合な補器類でした。当時のターボ車は『ドッカンターボ』と揶揄されるだけあって、ある一定の回転数になると急激に早くなり、それまではモッサリした車が豹変するさまは、まるで2重人格を想像させるようなまったく違う側面を持ったクルマへと変貌していくものでした。
それはそれで、面白いクルマだったのです。80年代国産車はターボかDOHCかどちらが優秀なのかを競い合う時代でした。長い間その論争を繰り広げるのですが、DOHCターボなるものが開発?され、論争にピリオドを打つのでした。それぞれの良いところを組み合わせればそれはそれで最強ってことで。。
レスポンスという意味においてはNAに勝るエンジンはなく、きちんと回ってアクセルを開ければ開けた分だけ加速していく、人馬一体を感じられるのはNAなんですね。。
80年代も半ばに入ると日本がバブル景気に入っていきます。その景気の波に乗り各社それまで暖めていた開発がようやく開花していくのでした。ホンダでいえばZCエンジンやB16エンジン、日産でいえばRBエンジンが開発されそれに見合った形の車両に搭載されその時代を彩っていきました。
バブルのころに開発されたものと言えば自主規制枠いっぱいの280psというクルマです。実際は1989年にV6エンジンを搭載したZ32のフェアレディーZが300psを超えるパワーを発揮しましたが、当時の運輸省から認可をもらえず、やむなく280psまで出力を規制したのが自主規制の始まりでした。
70年代にはどう頑張っても150ps程度しか出せなかった出力は、排ガス規制をクリアしながら、ついに300psまで出力を高めることに成功していきました。こうして暗黒の時代から這い上がり、オーバー300psという数字を出すにいたり、この時代が国産車の黄金期と呼ばれる時代へと移り変わっていきました。
1989年当時発売されたクルマは数多く、高性能な車種をあげると、
日産:スカイラインGTR
トヨタ:セルシオ
日産:フェアレディーZ
などですが、他にもパワーだけでなく、
乗りこなすことを重視したライトウェイトの草分け的なマツダ:ロードスターこのクルマの登場によりそれまで軽視されたちだったライトウェイトのカテゴリーが見直されて外国車メーカーがこの車を真似して新型のコンバーチブルモデルを販売するようになりました。
このよう国産車は紆余曲折を経て黄金期を迎え高性能なクルマや何かに特化したシペシャリティーカーが80年代には多く誕生しました。
取り留めのない話でしたが国産車の移り変わりのお話でした。
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