1966年からのプラットフォームに決別
1990年代の自動車産業は
いろいろな意味で新開発を
発表するのによいタイミングで
あり、よい環境であった
と言えるのではないでしょうか。
しかし、北米に依存した販売に
失敗したスバルは逆境な環境に
あったに違いありません。
倒産と直面しており、買収や
吸収合併の話が絶えず出るほど、
厳しい局面を迎えていました。
そんな中、開発はあきらめずに
続けられており、
当時超保守的だった富士重工業も
1966年に考案された
スバル1000のプラットフォームの
に行き詰まりに気づき、
古びたプラットフォームを完全に
捨て、新しいプラットフォームを
開発していました。
完全に新規の設計で作り上げた
プラットフォームはレガシーに採用され、
それまでの旧態然としたスバルの
クルマとは全く違う新しいものに
生まれ変わりました。
プラットフォームだけでなく、
エンジンも一から設計し直し、
EJ20型エンジンを生み
出したのでした。
それは超保守的なスバルが倒産まで
追い込まれて初めてチャレンジした
成果だったと言えるのでは
ないでしょうか。。?
レガシーはツーリングワゴンは
ワゴンの常識を覆し広い室内と、
ワゴンにはない220psという
ハイパワーを手に入れ当時クラス
では最速、しかもワゴンで
それだけの出力を備えている
クルマはレガシーのほか当時は
ありませんでした。
ことができたレガシーは大ヒットし、
倒産の危機を免れるのでした。
その後レガシーのセダンは
モータースポーツにも参戦し
WRCでは優勝することもある
スポーツセダンとして
生まれ変わったのでした。
そして、1992年レガシーの
プラットフォームを使い
ホイールベースを短くし、
車重も80kg以上軽くした
ボディーを作り上げ、
エンジンはEJ20型の220psを
搭載したインプレッサが発売されます。
インプレッサは軽い車重と
ハイパワーなエンジンを武器に
モータースポーツに参戦
するようになりました。
度重なるマシントラブルにより、
良い成績は納めていないよう
ですが、レガシー、インプレッサ
の販売好調によりスバルは倒産を
回避しバブルにうまく乗ること
ができたのです。
1996年に一部改良され
セダンWRX系のエンジンは
高回転高出力化の図られた
EJ20Kに変更され
国内自主規制値の280馬力に
到達するまでになりました。
STIと提携しさまざまな限定
車両を発売していたのが印象的
でした。
小さい車両に大型出力のエンジンは
バブル崩壊後の日本のクルマの中では
比較的元気のある車種だった
ように思います。
なので、限定車の発売やマイナー
チェンジなどを繰り返し、
1992年から2000年までの
長期にわたり販売し続けられたのです。
2000年に2代目となるGD/GG系が
発売されます。
エクステリアが大きく変わり、
丸型2灯のライトになり、
ワゴンは5ナンバー枠ギリギリ
収まり、セダンはスポーツ走行での
安定性を考慮し、幅が広がったため
3ナンバーサイズとなったのでした。
主力のエンジンはやはり、
EJ20型でしたが、改良が施され
280ps43kg-mの高出力を
発生させ、車重は先代よりも
若干重い1360kgと
なりました。
2002年には早くもエクステリア
のテコ入れを受け丸型のライトから、
若干変わり、まだみれるように
なりました。
その後2005年にもエクステリア
やはりライト周りの変更を受け
ようやく普通になりました。
誰が考えたか分かりませんが、
あの頃のスバルの考え方では、
考えられないような駄作ですね。
倒産しかけた頃の追い詰め
られた感じはもう忘れてしまって
いるのでしょうね。
本気で消費者とクルマに向き
合った時発売されるクルマには、
力があり販売面でも成果が出ます。
スバルも昔のようにならない
ことを祈ります。
マツダは今消費者とクルマに
向き合ったクルマが大ヒット
してますね。
やはり想いというのは大事なんですね。
そう言う意味でやはりバブルの頃の
元気だった頃のクルマは今見ても
乗っても楽しいクルマが多かった
んですね。
本日は倒産の危機から、
起死回生で復活できた、
バブルの頃のスバルのお話
でした。
最後までお読みいただき
ありがとうございます。