日本車の黄金期
1985年~1992年
排ガス規制後の日本の自動車産業は悲惨な状況で、新しいものを生み出す前の苦しみをずっと長い間抱えていた感じの1980年~1990年までの10年間だったように思われます。
排ガス規制は1973年に施行されましたが、途中幾度か排ガス規制を繰り返し、排ガスが減り環境には随分と貢献したようですが。。
人間が住む環境を整えるという意味においては当たり前なのかもしれませんが、それまでの排気ガス垂れ流しのようなことが減り少なからず温暖化防止には役に立ったのだと思います。
1970年代が終わり1980年台になっても時代は明らかに変わりファッションや流行も当然変わっていきました。
しかし、自動車の性能に関していえば遅々として進まず頑張って開発してはいるものの、リバイス版が多く新開発とまでは行かない少しごまかした様なクルマやエンジンが大半を占めていました。
各メーカーとも同様で画期的な開発が開花するのは90年代に入ってからのこととなりますが、1980年代の半ばには日本の経済はいわゆるバブル景気が到来します。
このバブル景気に乗っかって開発がすすみ、それまで遅々として進まなかった自動車産業の開発が一気に進んでいきます。
元々マツダが開発したロータリーエンジンは排ガスという意味においては通常のエンジンより排ガスが少なく環境に適応しやすいエンジンだったため比較的スポーティーな車種でも排ガス規制をクリアすることができたのです。
ロータリーエンジンは唯一無二の国産エンジンでそれまでいろいろなRXシリーズに搭載されていたエンジンです。
70年代後半からはRX7が登場し12Aというロータリーエンジンを搭載して華々しくデビューしました。
その後モデルチェンジを施し1985年にFC3SRX-7が登場します。
この時代はバブル経済の始まりで、このクルマはマイナーチェンジをしながら1992年のバブルが崩壊するちょっと前か丁度崩壊したタイミングまで、製造されていました。
本日はそんなFC3Sの中のコンバーチブル
モデルに焦点を当ててみたいと思います。
1987年にマイナーチェンジがなされたタイミングでロータリーエンジン搭載車ではマツダでは初めてオープンタイプのクルマを発売したのです。
バブルの頃の発想ですね。スポーツタイプのオープンカー今では考えられないようなスペックです。
スポーツカーという概念すら近年なくなっていますからね。。
ロータリーエンジンを搭載するモデルのオープンタイプは1964年のNSU・ヴァンケルスパイダー以来のモデルで国産では初めてのモデルです。
その後もマツダからロータリーのオープンモデルは発売されていません。。
イケイケのバブルならではの発想で、
上層部もよく発売する決断をしたものだと関心させられます。
13Bロータリー654CC×2基FC3C 205psの出力に電動オープントップ
この電動がまさにバブルを象徴していてカッコいいと思います。
この当時の205psは結構いけていてそのパワーのクルマにするには相当チューンナップにお金をかけないとなかなか到達しない出力でした。
しかも、そのスペックでオープンタイプこれをオンタイムで乗れた方は超羨ましい限りです。
もうロータリーもロータリーのオープン
モデルも今後発売されないのでしょうね。。
そんなRX-7のカブリオレは今一体いくらくらいするのでしょうか。。?
https://www.goo-net.com/usedcar/spread/goo/12/700040283730191010001.html
30年以上前のクルマでこの走行距離でこの価格はとてもアリだと思います。
https://www.carsensor.net/usedcar/detail/VU2113573525/index.html?TRCD=200002
これもベース車のようですが、アリだと思います。
昨今マツダは旧車のメンテナンス事業に乗り出していて、ユーノースロードスターをレストアする事業を始めたりしていて、古いクルマに対して比較的寛容になっている気がします。
さすがに外装部品はでませんが。。何か共通の部品とかなら出てきそうな感じもします。
ロータリーエンジンは共通なので補器類なんかもある程度期待できそうです。
これから激レア車になっていくクルマなので、好きな方は今購入してメンテナンスしながら維持していくのも楽しいかなと思います。
本日は唯一無二ロータリーエンジン搭載RX-7コンバーチブルのお話でした。
本日も最後までお読みいただき
ありがとうございます!