三菱渾身のバブリーカー
日本のバブル時代を飾った華やかな経歴を
持つクルマは数多くありますが、三菱が発売した
バブルカーは唯一1台だったと言っても過言ではありません。
1990年にスタリオンの後継車種として
発売された三菱・GTOです。
1970年代にもギャランGTOというモデルを
販売していましたが、このクルマの後継車種は
ギャランΣ→ギャランVR-4へと進化を遂げました。
三菱GTOは1988年に東京モーターショーに
三菱・HSXという名前で参考出品されたクルマでした。
日本の市場ではなく北米の市場を意識した大型な
その作りは当時の日本車にはないほど大型で
車重が重いものでしたが、6G72というV型6気筒
24バルブのトルクフルなエンジンのおかげで
そんなに重さを感じさせない作りに仕上がっています。
パワーは280psと当時の規制枠一杯の出力ですが、
トルクがなんと、42.5kg・m/2500rpm
低回転からまるでディーゼルエンジンを思い出させる
ようなビッグトルクを発生させるエンジンでした。
当時の三菱の技術をすべて詰め込んだそんな1台で、
フルタイム4WDに4WS、高速走行時に可動する
「アクティブエアロシステム」や、排気系には
なんと音まで調整する機能が搭載されていました。
マフラーへの流入経路を切り替えることで
音質が変えられる「アクティブエキゾーストシステム」
国内では、日産R32GT-Rに対向するべく当時の
技術をこれでもか!と詰め込んだクルマだったんです。
しかしながら、なんといっても1700kg
もある車重はこのクルマの弱点でもありました。
日本のクルマは小さく、海外では広い道に
比較的大きなクルマを走らせるのが主流で、
大柄な外国人でも余裕で乗れるような
車幅が必要だったようで、それだけではありませんが、
このGTOは他の日本車と比べると
300~500kgも車重があったのでした。。
この時代北米を意識したクルマが多く発売されて
いましたが、リトラクタブルライトを搭載した
モデルはこのGTOだけでした。
大型なマイナーチェンジが4回も施され最後は
当初の面影すらないような、
ビッグマイナーチェンジを繰り返したのも特徴です。
1993年に固定ヘッドライトへ変更1994年には
MRが登場60kgもの軽量を図ってスポーツ性能を
高めました。
その他細かいところを数多く変更していきました。
国内ではGT-Rをライバルとしていたそうですが、
あまりに大型化したそのボディーではライバルに
すらなれなかった。。そんな気がしてなりません。
ライバルをGT-Rではなくソアラやレパードなど
ハイソカースペシャリティーカーにしておけば、
もう少し販売台数も伸びたのではないでしょうか。。
そんな三菱渾身のバブルカーは
今一体いくらするのでしょうか?
https://www.carsensor.net/usedcar/detail/VU1421979573/index.html?TRCD=200002
この年代にしてこの走行距離は奇跡ですね。。
それでいてこの価格は格安と言えますね。
https://www.carsensor.net/usedcar/detail/VU2136796210/index.html?TRCD=200002
そこそこ走っていてもこの価格です。
まだ探せば程度が良い車両が出てくるかも
しれません。
いまならまだ安価で購入することができます。
程度が良いものを探して、モディファイ
しながら乗るのも面白いかもしれませんね。
本日はバブル時代三菱渾身のスポーツカー
三菱・GTOのお話でした。
本日も最後までお読みいただき
ありがとうございます!